top of page
  • 執筆者の写真operator

無功徳(むくどく)

私は、子供の頃から「良い人になりたい」と思ってきました。

とはいえ、人生を振り返ってみると、思い出したくないような失礼なこと、

人を傷つけたことがいくつもあります。


稲盛和夫さんのお言葉の中に、「徳ある人間でなくても、そうなりたいと思

うことが大切だ」というような主旨のことがあったと記憶しています。


私も、正にその通りだと感じます。


過去の過ちは元に戻すことはできません。過ちを忘れず、二度とそうしない

ようにすることは大切ですが、過ちに心を縛られ、身動きできない状態にし

ては己が腐るだけです。生きている間は、改めるチャンスを与えられている

のだと、気持ちを切り替え、償いの気持ちを持って、人に尽くすようにして

いけば良いのだと思います。


でも禅では、その「人の為」という考え方は良くないと説いています。


なぜなら、人のために何かをしようと思うと、無意識のうちに見返りを期待

してしまうからだそうです。もちろん、人の為にという心は、何かを起こす

原動力になるのも事実ですから、たぶん禅では見返りを求めたり、押し売り

や自己満足になることを自戒しているのだと思います。


いずれにせよ、自分が「したいこと」は、誰のためでもないということなの

でしょう。


すべてが自分のため、自分自身に還ってくるもの。



島崎ふみひこ

異文化コミュニケーション研究所(R)

https://www.globalforce.link/

日本企業のダイバーシティ教育、高度外国人財の採用・活用





閲覧数:1回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page