OJTという名の放置

更新日:4月5日

誰がこの言葉を考えたのでしょう?

OJT, On the job training. カッコいいですよね。


これを私が再定義してみると「現場主義で、経験から学ぶ」ということに

なりますが、どうでしょうか? それぞれの個人が、現場で遭遇する課題を、

先輩の教えや、自分の知恵で乗り越える...。これは素晴らしい考え方です。


でも、これでは個人、個人経験できることが異なるため、会社の「教育シス

テム」として、必要ではあっても十分であるとは言えません。また、取得し

て欲しい技能や、解決思考のレベルも、個人の経験だけに頼るため、場合に

よっては「誤った判断」や「表だけ繕う人格」を助長することにもなりかね

ません。


会社が、OJT教育という言葉を使う場合に準備しておかなくてはならないの

は、目的を定め、何を、どの程度、どの期間で習得させるのかを、事前に明

確にして、それを評価する仕組みを作り、必要に応じて適宜補完をする体制

を整えることです。


特に、高度外国人財の場合には、OJTではなく、徹底的な教育が必要です。

日本人は、周りを見ながら成長する「クセ」を子供のころから染み込まされ

ているため、OJTという名の放置でも、それなりに(たとえ『どんぐりの背

比べ』 程度であっても)成長していきますが、多くの外国人の場合には、

放置状態のOJTでは、理解が出来ず、段々気持ちが萎えてしまうからです。


日本企業の場合、たとえ社長同士の交渉であっても、「一度、社に戻って検

討してから結論を出します」と決定権を持っているとは思えない返答を平気

で行います。つまり決定プロセスが不明瞭で、その判断基準も不明瞭なのが

日本企業の特徴です。私から見ると「悪しき慣習」です。みんなで決めるこ

とのメリットは、確かに多くの叡智を集めることはできる反面、人の顔色を

見るばかりで、問題が起こると自分が決めたことではない、みんなで決めた

ことだという「責任者不在」を産みやいものだからです。


多くの高度外国人財の場合、自分で考え、自分で責任を負うという考え方を

持っている人が多く、能力があり、キャリアアップやより高いレベルの仕事

を望んでいます。そんな優秀な人財にとっては、このような日本企業は「ぼ

んやりした会社」に見えてしまいます。それでは嫌気がさしてくるものです。


是非、貴社のOJTを見直して下さい。必要なら、お手伝い致します。



島崎ふみひこ

異文化コミュニケーション研究所(R)

https://www.globalforce.link/

日本企業のダイバーシティ教育、高度外国人財の採用・活用